AI音楽が当たり前になった時代、「非AIビート」への執着


最近、AIで音楽作るのがもう当たり前。AIの音楽生成ツールって本当に便利で、プロンプトを入れたらすぐ曲ができるイメージ。でも自分は、だいたい自作のフレーズやビート、メロディをAIに食わせて、そこから広げたりアレンジさせたりしている。全部AI任せにはせず、やっぱりどこかに自分のクセが残る感じ。

AIを使うようになって曲のアップデートが前より全然早くなったし、リスナーもどんどん増えてるのは正直うれしい。その一方で、不思議なことに完全手作りの「非AI」トラックもじわじわ人気が出てきてるみたい。理由は正直よく分からない。Pixabayとかに無料公開したり、VolocoやRapchatみたいなアプリにビートを出したり、たまにSpotifyやApple Music、Shazamにもアップしてるから、露出が上がったからなのかも。

「非AI」トラックにはAIでは出せない手作りっぽい味とかクセがあって、それを好きになってくれる“隠れファン”みたいな人がいる気がする。AIで作った曲は、確かにクオリティ高くて仕上がりも速いけど、「これって本当に自分の曲?」みたいなむず痒さもある。その点、非AIの曲は荒削りでもなんか愛着わく。

「もっと非AIビート増やしてみよう」と思うことも。ただ、結局AIでアレンジしちゃうと、その出来にビビってAIバージョンしか出さず、非AIの原曲はSSDに埋もれる流れが多い。こう考えると、今後非AIビートが増えるチャンスはあんまりなさそうで、ちょっと寂しい気もある。

やっぱり大事なのはAIと自作のバランス。AIはめちゃ便利だし面白い。でも、自分の手で作る楽しさとか、ちょっと荒い「自分らしさ」もたまには忘れたくない。非AI曲の未完成な感じに落ち込む時もあるけど、その不完全こそが自分の色。気づけば、頭の中でぐるぐる同じこと考えてる。

AI曲でも非AI曲でも、これからもいろいろ試して発信していくつもり。

以上、今日はこのへんで。

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